「近代とは何か」、第13回は柴桂子氏(近世女性史)「江戸・明治を生きた女たち」である。ここでは柴さん自身の生き方と講義を少しご紹介したい。

 

〇柴さんの自己紹介と参加者との対話

柴さんは九州の生まれで、戦争中の疎開先で小学生の頃、おもいっきり遊んだことが、現在の生きる力になっていると言われた。高校卒業後、会社の事務職として働くが、どこか物足りない。そこで自分は何をやりたいのかを見つめるためにも大学へ行くことを決意される。「女が都会でひとりで下宿するなんて、とんでもない」という時代の中、さらに柴さんの父は軍人であり、「女に学問は不要」という方針のなかでの大きな決断である。

 大学在学中、生き方に迷いながら、「夫の家の私有財産の相続者を生む性奴隷、私的経営の奴隷」とまで言われた江戸時代の女性にもちゃんとした意思をもち、生きていたはずだという確信から、江戸期の女性史研究が始まる。江戸時代の圧政下、女性には自分を表現したあらゆる種類の足跡がある。例えば日記、和歌、漢詩、俳諧、訓戒書、紀行文など、唯一ないのが農書ぐらいのものだ。

 柴さんは人生のどんな状況下においても、自分のやりたいことを少しづつ続けられ、このほど『江戸期おんな表現事典』(現代書館)を監修し世に出された。この事典には江戸期の女性約1万3千人が掲載されている。例えば江戸は3千人、京都は550人。講義後、対話の中で、柴さんは昭和20年ぐらいまで、江戸時代の『女大学』の影響があったといわれた。そして現在でも田舎では、女性はひとりで外出しにくい雰囲気がまだあるという趣旨のことも述べられた。

また、参加者の質問で江戸時代の女性と明治以降の女性との違いについても質問があった。柴さんは断定はできないと前置きをして、明治以降の時代は富国強兵の風潮の中で男女の役割がはっきり分かれてしまったという感想を述べられた。

柴さんは現在、静岡県掛川市で農業と寺子屋「ばぁばの」を主催され、研究では東京と京都の勉強会桂文庫を中心に近世女性史に取り組まれている。

 

〇佐藤志か

講義では他に西宮秀さん、柴さんのご先祖の柴ウノさんを紹介された。ここでは京都にゆかりのある佐藤志かさんを少し紹介する。

天保5年(1834)から大正6年(1917)享年84歳にわたる生涯を「商家再興一代記」(仮称)を参考にして説明された。

 

佐藤さんの生まれは京都室町の綴錦織の豪商である。

3歳の時、父が米相場で失敗し、倒産する。伏見稲荷の神官や八百屋へ養女に行く。

14歳で大阪の商家に奉公する。

23歳で糸と京人形仲買の店を出す。このときに婿養子に吉兵衛を名乗らせる。駒吉を出産。

28歳、夫の茶屋狂いのため、離婚。

36歳、再婚するもまた夫の女遊びで離婚。このとき堺に茶道具屋でランプや漆器を販売。

44歳(明治10年)長男駒吉に6代目吉兵衛を継がせる。

49歳で隠居する。商売は繁盛。伊勢参り、寺参詣をしてこころ豊かな余生を送る。

 

「男運が悪い方は本当におられます」という柴さんのコメントに納得した。ただ、上の例からもわかるように、女性の方から離婚を申し出ている点は、江戸時代の女性のイメージとは異なり、興味深かった。実状は女性の意思も反映されているのだと思った。


第12回「近代とは何か」は平野喜之氏(僧侶・数学者)「集団と個人」である。今回も私の関心から少しまとめたい。

〇地下鉄サリン事件の現場

 地下鉄サリン事件の現場において、個々人はどのように行動したのか。辺見庸氏の『不安の世紀から』(角川文庫)から紹介された。

 

「私はこの光景に非常に奇妙なものを感じました。これはたぶん通勤者たちも新聞記者たちもそして犯人も、非常に職務に忠実であったのではないかというふうに思ったのです。それからそれぞれの組織に非常に忠実で組織を裏切ることがなかったのではないかと思いました。そこにはひょつとすると、悪意とか憎しみもまったく存在しなかったのではないかとも思うのです。悪意なき、ただひたすらに忠実なだけでできた殺人現場、そう思います。殺人とは考えてみれば悪意があるより悪意のないほうがかえって怖いのです。

 つまり指示するものと指示されるものとがいて、指示されるものが指示に基づいて非常に忠実に動いただけなのではないか。サリンをまくということ。それからその事件について取材するということ。職場には、通勤には遅れてはいけないということです。そのような組織への忠誠です。私はそれがとても日本的な現象のように思えてしょうがなかったわけなのです」。

 

 辺見氏は日本人の行動を「個人の主体性や責任より集団の重要性に従う」と分析された。つまり、自分の良心や考え方より集団の論理を優先する。この態度は現在の日本人の大多数もそうであると私は思った。そして講義は阿部謹也や丸山眞男の考え方とあわせて、具体的な例としては東京裁判や731部隊の例が挙げられた。

 

〇三つの問い

平野氏は「集団と個人」の関係において、三つの問いを提示された。

①集団が暴走したとき、それに抗うことができるか。抗えないまでも、ちゃんと立ち止まって考えることができるか。「殺せ」の命令に対して、その実行を引き留めるものは何か。

②もし集団が暴走して、組織的犯罪を犯したとき、自分にも責任があると言える個になることができるか。

③戦争責任を負うことができる主体、その主体の誕生、歩みとは。

この「三つの問い」に答えるための個人の在り方としては、①個人の良心、②宗教(キリスト教)、③自分が他と関係しながら生きている(自と他が一如)という事実そのものから来る勅命(万物一体の真理)を挙げられた。

 対話の時間のとき、私は平野氏にこれら良心、宗教、「万物一体の真理」の関係について尋ねた。彼によると、良心の場合、自分が良心によって自分を裁いてしまい、「救い」がなく自殺する可能性があること。「万物一体の真理」は自分の存在自体からくる痛み(存在論的な痛み)であり、良心の源泉であること。

 

〇三つの問いに対する宗教的な答え(キリスト教)

平野氏はキリスト教徒の渡部良三氏を紹介された。彼は戦場で捕虜の殺害命令を拒否し、代償として過酷なリンチを受ける。そのときの歌がある。

・血と人膏(あぶら) まじり合いたる臭いする 刺突銃は今我が手に渡る

・鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ「虐殺こばめ生命を賭けよ」

 

渡部「キリスト教の信仰者として殺さないというのは絶対至上命令だと。天皇陛下が何を言おうと絶対してはいけないことだと。そういうふうに子どものころから教えられ、しつけられ、分かっていてもなお、7時間堂々めぐりをした。これはやっぱりね、日本人だったからだと思う」。

 

〇責任を負う主体の誕生

 平野氏は仏教、特に親鸞の立場からこの問いを考察された。まずは『歎異抄』の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」について述べられ、『観無量寿経』の王舎城の悲劇で具体例を紹介されて、阿闍世のこころの動きを中心に説明された。

 これらは深い人間への洞察からの指摘である。容易に分かるものではないが、一人の個人が歩むべく道、方向ははっきりしていると私は思う。

 


第11回シリーズ「近代とは何か」は日下部吉信氏(ギリシア哲学)「西田とギリシア哲学」である。今回も私の関心から少しご紹介しよう。先生の講義は「ギリシア哲学という鏡に映して西田哲学を見る」という内容であった。先生によれば、西田哲学は全期間にわたってギリシア哲学ないしギリシアの哲学者に言及している。例えば、西田のギリシア的タームには「ノエシスーノエマ」や「ポイエーシス」や「場所(コーラ)」などの用語がある。

 

〇西田哲学の軌跡

西田は自ら「ギリシア哲学を介して、一転して「場所」の考えに至った」と語っている。先生の総括を見てみよう。「「純粋経験」から「自覚」を経て「場所の論理」にいたり、そこから歴史的・社会的次元において「弁証的一般者」が語られるようになり、その自己限定の展開の中で「行為的直観」や「ポイエーシスの世界」が語られ、そして最後の宗教的境地において「逆対応」や「平常底」の哲学が語られた」とまとめられた。

 

〇純粋経験から自覚の立場へ

西田の「純粋経験」の概念はW.ジェイムズの「根本経験論」に示唆を受けたと言われている。しかし西田は後年、こういう心理的概念では真実在を捉えることはできないと述べている。

次に西田が立った「自覚」の立場は、日下部先生によればフィヒテの「事行」の哲学の影響が大きいと言われた。この考え方は「思惟する」という行為が「思惟してある」という存在と同一であるということ。先生は次のように言われた。「「自覚」が存在の端的な開始なのであります。それには何ものも先行せず、そこから認識も存在もはじまるのであります。それは世界の絶対的な開闢であり、世界の一切がそこから展開される真実在なのであります。西田が「純粋経験」の次に立った「自覚」の立場はまさにこのフィヒテの知識学の立場だったのであります」。

 

〇自覚の立場から場所の論理へ

先生によれば、なぜ西田は「自覚」の立場で事足れりと、ならなかったかの理由のひとつとして、西田の東洋的体質を挙げられている。「自覚」の哲学はやはりなお「意識の哲学」、「コギトの哲学」であり、西田はどこかで違和感を覚えていたと考察されている。

「この頃の西田はすべてのものを包み込み、しかも根源においてそれらを支えるような真実在を求めていました。西田の言葉で言えば、「実在の論理」を求めていました。そういった中で西田が出遭った概念がアリストテレスの「ヒュポケイメノン」(「基体」、「基にあるもの」)の概念であります」。それを西田は「場所(コーラ)」と呼ぶ。アリストテレスは基体を「主語となって述語とならないもの」とする。先生によればこの規定もアリストテレスの一面的、暫定的な規定である。しかし西田はこの基体の論理は「主語の論理」であり、「有の哲学」だという。それに対して西田は基体を「どこまでも述語となって主語とはならないもの」つまり、「超越的述語面」に求める。

「一切の主語性、有性を述語の方向に絶したところに西田は真実在を求めるのであり、そこに西田は「無」を見出しました」。ここを西田は「真の無の場所」や「絶対無の場所」と呼んだ。

 

〇絶対無の哲学

「「場所の論理」によって無の立場を確立した西田は、中期の『一般者の自覚的体系』や『無の自覚的限定』の時期になると、「絶対無の場所」という絶対的な次元から世界の全体を体系的に導出しようと試みるようになります」と先生は述べる。つまり、西田は絶対無から世界を説明しようとした。

 

世界を語るとき、西田は「無の自覚」という着想を使う。これは「無が自覚する」ということ。「無が自覚するということは無の自己限定ということ」。言い換えれば、これが世界の開闢、一切万物の発端である。先生によれば、この考え方はプロティノスの「一者が自分を見てしまう」と同じ思想である。ただ、プロティノスは「一者」を上方の極点に想定されたのに対して、西田の「絶対無」は下方の極点に置かれているという違いだけである。

 

〇西田と宗教

先生によれば、古代ギリシア哲学と西洋近代哲学は原理を異にしており、その相違は特に「個の自覚」において際立っていると言われた。西田哲学はもちろん、「個の自覚」に立った哲学であり、「死」や「宗教」といった個がきわまったとき、その相違もはっきりする。

 

ソクラテス・プラトン哲学が受け継いだ身体即墓説を支えているのが、「魂転生説」である。この考え方は「死は消滅ではなく、別の生への転換」でしかないとするものである。言い換えれば、「死の自覚」がないゆえに「個の自覚」もないと考えられる。一方、西田にとっての宗教は、「個の自覚」、「個としてのわたしの死の自覚」、「二度と繰り返さない己の絶対的死の自覚」の上に立つ哲学である。

 

ただ、日下部先生はこの強烈な自意識ともいえる哲学に対して、たとえ意識の底が破れていたとしても、「我性」の枠を出ていないのではないかという疑義をもたれている。

 


第10回シリーズ「近代とは何か」は、松久寛氏(京都大学名誉教授)「縮小社会への道」。今回も私の関心から少しご紹介したい。私は松久先生の講義を聞くのは今回で2回であった。先生は工学博士であるが、視野が広く、現在の地球的規模の危機を冷静に分析され、その解決策を長期的に考察されている。このような知識人は、日本に少ないという感想をもった。

 

〇経済成長について

松久先生は、最初に私達の思考の枠組みの危うさを指摘された。それは経済成長はすばらしく、成長は必要であるという固定観念だ。「環境保存と経済成長は共存できるか」や「平和と経済成長は共存できるか」という問いを出された。端的に言えば、現状のまま進行すれば、どちらの答えも、共存は不可能ということになる。それはなぜなのか。成長を質のそれではなく、量の成長と考えると、「量の成長とは、より多くの物を生産することであり、資源と廃棄物処理が必要」になる。地球上の資源は有限である。

 

〇過去と現在の比較

量の成長として、必要熱量を比較する。火を使わず狩猟採集生活をしていた原始人は食料として一人一日に2000Kcalを使っていた。現在の日本人は石油を中心に、一人一日の必要熱量は原始人の50倍、10万Kcalを使用している。たった一人で10万Kcalを消費しているのだ。

 

〇資源の枯渇

あらゆるものの生産にエネルギーが使われている。石油に換算してみると、コメ1calに石油0.9calが使われ(別の説によると10cal)、本1冊(300g)には0.5リットルの石油がいる。また、茶わんひとつをつくるのに、薪3束がいる。

 

石油に関しては、1986年頃に石油の発見量を消費量が上回り、このままでは枯渇することは確実である。エコロジカル・フットプリントという指標では、現在でも地球1.5個分が必要である。この先、人類が生存するためには、エネルギー使用量を縮小しなければならない。資源の観点から国際政治を見れば、資源争奪のために戦争をしているとも、解釈ができる。例えば、イラク、リビア。

 

〇成長の限界

1972年、ローマクラブは「成長の限界」というレポートを出した。エネルギーや環境の限界より2050年ごろに人口はピークに達し、それ以後急減すると述べている。経済成長が生産の増大を意味するとき、成長率が2%の場合、もとの総量の2倍になるのに35年かかる。100年続けば7.2倍になる。資源は減るし、地球の大きさは元のままなのにである。

日本は人口減少が始まっているが、2100年には5千万人を下回ると予測されている。江戸時代の人口が3千万人であったが、避妊、中絶、堕胎、新生児間引き、独身の強制などが行われていた。自然に人口減になるのは、ある意味で幸運なのかもしれない。

 

〇科学技術

科学技術でエネルギー問題も解決できると一般的に考えられている。しかし、科学技術でも「可能なこと」と「不可能なこと」がある。先生によると「地震予知、安全な原子力、宇宙発電」は不可能である。実現しているものでは、家電の省エネである。ここ数十年でエアコン67.8%、冷蔵庫55.2%など省エネができている。

 

〇縮小社会

縮小社会が目指すものは、今日だけではなくて次世代の幸せも考え、自分だけでなく外国にいる他者の幸せも考える社会である。日本にはかつて、もったいない、倹約、丈夫で長持ちといった考え方があった。そのような価値を復活させるべきだと先生は言われた。3.11以後、日本人は電力消費を12%減らしている。今後、人口減で1%、科学技術で1%、意識改革で2%、合計4%を減らすことも可能である。問題はいかにして意識改革を進めるかである。


シリーズ「近代とは何か?」、第9回は小川侃氏「水戸学と近代」そのⅡ―孟子と文天祥の気―である。小川氏は豊田工大文系アドヴァイザー、京都大学名誉教授。ここに講義のレジメの一部と私の感想を少しご紹介したい。

 

「前回は、藤田東湖の水戸学の現代的意味について語りました。今日は、藤田東湖が、己の氣の思想の先駆者としている二人の漢土の思想家と詩人を取り上げます。それは、孟子と文天祥です。私は、『風の現象学と雰囲気』(ちなみにこの書物の第一部はイタリアのローマから翻訳出版されることになりました。)という著書の中で一応言及しているのですが、詳しくは論じていないので私の解釈を交えながら簡単にお話します。

 

まず私の方法について述べておきます。私はいわゆる文献学的方法を取りません。それよりも、孟子が言わんとするところを現象学の事象分析を通して明らかにするというやり方をとります。先行する思想家はすべてある事柄について述べ、解釈し、己の思想を語ったのですから、重要なことはこの事柄、事象そのものなのです。こんなことを言うと、孟子は孔子のどういうところを受け継いだのかとかを考えることが重要だという世間一般のいわゆる哲学研究者の考えは無能そのものを示します。事柄そのものを直接に主題化し、考え抜くことが重要です。

浩然の氣というのは、言葉の意味から理解すると、広い(浩)拡がりであり、然が意味するのは、肯定のことです。だから浩然の氣とは、どこまでも広く広がる海や空をそのまま肯定することです。氣という漢字は、本来は、米を炊いたときに上に広がる湯気を意味しております。そこから、息、気息、呼吸の息を意味します。したがって、浩然の氣とは、言葉どおりには、大地と空の全体に広がる息であり、世界の全体に満ちる息のことです。孟子は、浩然の氣を言葉で定義するのは難しいが、「何よりも大きく、どこまでも広がり、何よりも強く、まっすぐに育てて邪魔をしないと天と地の間に満ちて一杯になる」といいます。この「気」は、義と道によって養われるのです。道にはずれず、正しいことをしているということによって養われるといいます」。

 

 そして、小川氏は京都市詩吟文化連盟の作成した資料を使い、文天祥の「正気の歌」の解説をされました。私が感銘した点を記します。

「「気」は義と道によって養われるのです。道にはずれず、正しいことをしているということによって養われる」と孟子の浩然の気を説明された。宋の人、文天祥は宋が元に敗れて、元に帰順するように求められるが、断固として屈しなかった。そのあらわれが「正気の歌」である。この歌には次のような内容がある。

気は天地に充満している。その正気が下は山や川、上は日や星といったものにあらわれる。それが人間の世界にあらわれると、孟子のいう「浩然の気」となる。「道義が正しく行われている時代にあっては、それは正しい政治の行われている場にあらわれて、きわめてなごやかな言論の中に表出されることになる。がもし、時代が行きつまってしまうと、人間の命をかけた節操として、永く歴史にも記されて、後世の訓えともなるような事実として、すべてあらわれることになるのである」。

 

 現在、私は「道義が正しく行われている時代」というより、行きつまっている時代だと思う。文天祥のように命をかけて節操を守る時代なのか、そう考えさせる講義であった。次回は藤田東湖の「文天祥天地正気の気の歌に和す」についての予定である。


 

シリーズ「近代とは何か?」第8回は私(水口)が「丸山眞男の論文再読:軍国支配者の精神形態―メンタリティを中心に」を話した。この論文のテーマでもある精神構造と行動様式を軸に、①明治からの視点②日本とナチとの比較③現在との比較の三つの視点から考えた。ここに少しご紹介する。

 

 

 

〇福沢諭吉『文明論之概略』(1875年)明治8年からの考察

 

福沢は「文明論とは、人の精神発達の議論なり。その趣意は、一人の精神発達を論ずるにあらず、天下衆人の精神発達を一体に集めて、その一体の発達を論ずるものなり」と文明を定義した。また、「一国文明の有様はその国民の智徳を見て知るべし」と述べている。福沢の文明というのは、国民一般の智徳の水準を見て考えるということ。幕末に植民地化されるような状況において、国民全体を底上げしなければ独立を維持できないと考えていた。これは現在ではどうなのか?

〇東京裁判に見る検察側(共同謀議)と弁護側(非計画性)の対立

 

ゴルンスキー検察官は述べる。

 

「日本は一方に未だ終了せぬ対中国戦争を負担し且又ソ連攻撃を準備しながら、どうして合衆国及大英帝国に対して同時に攻撃を決し得たかと、充分な根拠を以て驚いている聡明な人々も極めて多くいますが、この疑惑は、もし我々が日本の支配者一般及特に日本軍閥指導者達のドイツの威力とその必勝に対する盲信を見落とすならば解き得ぬものでありまして、彼等は・・・・独逸側が約束していたソ連の崩壊が今日明日にも到来するであろうとあてにしていたのであります」。

 

合理的に考えれば、前半で述べている通り、中国と戦争をしながら、同時に英米に攻撃をしかえることは無謀である。しかし、ドイツの威力と必勝を盲信していたと彼は予測している。丸山はまた、ナチの指導者の「強い精神」に日本の「弱い精神」が感染したとも考察している。

 

 

 

検察側の「圧倒的軍備拡大」の主張に対して、弁護側は年間に5万機以上の航空機を生産する米国に少数の航空機で全世界の征服に乗り出すことはありえないと述べている。いずれにしても、日本の戦争体制における組織性の弱さ、指導勢力相互間の分裂と政情の不安定性(十五代の内閣が成立し瓦解)があった。ただ、大東亜共栄圏構想という願望は存在していた。丸山は「政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。(中略)まさにそうした非計画性こそが「共同謀議」を推進せしめて行ったのである。ここに日本の「体制」の最も深い病理が存する」という。

 

〇被告の精神と行動様式の分析方法

 

丸山はいう。「彼等の法廷における答弁の仕方そのもののなかに、日本支配層の精神と行動様式が鮮やかに映し出されているのである」。これを手がかりにして丸山は日本の戦争機構内部を考察した。そして丸山はこうも述べる。「しかもそこで抽出された諸原則はきわめて平凡であり、われわれにとってむしろ日常的な見聞に属するかもしれない。もしそうならばいよいよもって、われわれはそうした平凡な事柄がかくも巨大な結果を産み出したことに対してつねに新鮮な驚きと強い警戒を忘れてはならないのである」。この視点は大きく見ると、福沢の国民一般の智徳の水準と関係している。

〇日本とナチの指導者の言動の比較

 

「言うまでもなく皇軍の精神は皇道を宣揚し国徳を布昭するにある。すなわち一つの弾丸にも皇道がこもっており、銃剣の先にも国徳が焼き付けられておらねばならぬ。皇道、国徳に反するものあらば、この弾丸、この銃剣で注射する」と荒木貞夫氏はいう。

 

具体的な殺戮行為のすみずみにまで皇道を浸透させている。概して被告らの発言には、自らの行為に倫理の霧吹きを吹きかけて、自分の行為の意味や結果を考えないところがある。

「諸民族が繁栄しようと、餓死しようと、それが余の関心を惹くのは単にわれわれがその民族を、われわれの文化に対する奴隷として必要とする限りにおいてであり、それ以外にはない」とナチ親衛隊隊長ヒムラーが述べる。考え方は別として言葉だけは明快である。

〇過去の行為をどのように正当化するか。

 

裁判の被告の自己弁解には二つある。ひとつは「既成事実への屈服」であり、もうひとつは「権限への逃避」(ここでは省略)である。丸山はこう述べる。

 

「既に現実が形成されたということがそれを結局において是認する根拠となることである。殆どすべての被告の答弁に共通していることは、既にきまった政策には従わざるをえなかった、或いは既に開始された戦争は支持せざるをえなかった云々という論拠である」。

 

 

 

これは加藤周一氏のいう大勢順応主義である。自分の考え方やモラルが内面化されていない場合は特に自分の考えを、そのときそのときの大勢に順応させていく精神である。この精神では個人の内面の良心をも無視して、行動させることが可能である。

丸山はこの論文で軍国支配者を分析した。彼らの精神や行動様式は東京裁判という特殊な一回的現象だったとはいえなく、我々一般人にも今なお存在している傾向だと私は思う。

 


シリーズ「近代とは何か?」(夏)第7回は平野喜之氏「主権的国民国家を超えて」である。内容が質・量とも高く多いので、私の関心から少しご紹介したい。

 

〇はじめに 平野氏のお寺、浄専寺には非戦の川柳作家鶴(つる)彬(あきら)の句碑がある。鶴は治安維持法で2度拘束され、29歳で獄死している。その句は「胎内の 動き知るころ 骨がつき」。身ごもった赤ちゃんの動きを感じたころ、夫の遺骨が届くという内容である。平野氏は戦争というものが、私達にどのように働き、現在にどう影響しているか、体験者の話しをまじえて紹介された。また、歴史的に人類が戦争をどのように捉えてきたか、そして今後はどうすべきかという視点で講義が進行した。その過程で、仏教から日本国憲法の前文を再解釈する試みは、日本に伝統的に憲法の精神と同じ精神があったことを示していて、興味深いものがあった。

 

〇主権について 主権は戦前には天皇に、戦後には国民にある。簡単に言えば、その国の中でだれに権力があるのかを示している。丸山眞男は主権の肯定的な面を①「他の諸国から完全に独立し、自主的な統治権をもち、諸外国と対等の条約、その他の外交を結ぶ権利のこと」、②「憲法制定権力」を挙げている。児玉暁洋氏は主権の否定的な面として、①交戦権(戦争をする権利)、②死刑の二つを考えておられる。 主権は至上権ともいわれ、一国内における最高の権力だから、間違った主権の行使を裁く力がないと考えられる。しかしながら、主権を制限する思想、理念は古くから存在している。すなわち、今でいう「政治道徳の法則」である。

 

〇政治道徳の法則 この「政治道徳の法則」は憲法の前文、第3段落にある。「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ず」。 この「政治道徳の法則」という理念は、ニューンベルク裁判の基礎であったからこそ主権のもとでなされた戦争を犯罪として裁くことができたといえるのである。この考え方は東京裁判にも適用されている。それなら、本来「政治道徳の法則」を敗戦国に適用したように、戦勝国にもあてはめることを、日本人をはじめ世界の人々にも課せられていると考えることができる。これは東京裁判を受け入れた積極的な意味である。

 

〇日本国憲法の前文と阿弥陀仏の願(第一願) 阿弥陀仏の第一願は、地獄・餓鬼・畜生のない世界を願うこと。天台宗の源信は『往生要集』で「地獄」を「互いに常に害心を懐けり」、「餓鬼」を「之を食らえども常に飢乏(きぼう)す」とし、「畜生」を「常に怖懼(ふく)を懐けり」としている。つまり、地獄は互いに常に傷つけ合おうとしている者の関係であり、餓鬼とは常に飢えている状態にあり、畜生とは常におそれをいだいている状態にあることを示している。 憲法前文の「平和を維持し、平和のうちに生存する権利を有する」が地獄を超えていることにあたり、「専制と圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう、恐怖を免れる」が畜生を超えることに該当する。餓鬼を超えることは「欠乏から免れる」にあたる。以上にように広い意味で仏教の精神と類似している。

 

〇一つの世界と一つの世界秩序の形成へ(丸山眞男) 17世紀、グロティウスが戦争のルールを作成した戦時国際法から戦争に対する理念は、近代国際法、パリ条約、国際連盟、そして国際連合と展開してきた。その展開の中で、集団安全保障体制や自衛権などの考え方もできた。そのために自衛権を口実に戦争をした歴史もある。国連憲章ではあらゆる武力行使を違法としている。「個別的・集団的自衛権の行使、または安保理決議に基づく強制措置以外の一切の武力行使について正当化することは出来ず、現在の国際法では全ての武力行使は違法化されている」と平野氏。 ここで平野氏は丸山の考えを紹介する。 「このプロセスは国際社会の構造変化を、つまり主権国家を強制力行使の最終単位とする世界から、一つの世界(ワン・ワールド)と一つの世界秩序(ワン・オーダー)の形成を模索する方向を示しております。例えば国際連盟規約第十六条。この規定は、戦争が主権国家の紛争当事国の問題であって、他の国家は「中立国」としての権利・義務をもつだけであるという、長い間通用して来た考え方からは理解できず、むしろ、侵略戦争の遂行は一つの世界(ワン・ワールド)の法秩序を侵害する行為だ、とみる考え方に立っているからです。第二次大戦における「戦争犯罪人」という新しい概念、とくに捕虜虐待や非戦闘員殺傷の罪をこえて一国の最高戦争指導者を国際的戦争犯罪人として裁く観念の登場はまさに戦争観のこうした画期的な変化を前提にしてはじめて理解できます」。 〇世界共和国へ すべての国家が、道徳法則に従っていない状態は平和ではなく、戦争状態である。この状態を解決するために国家は平和条約を締結する。さらに各国家は相互に契約にもとづいた平和連合をつくる。そして各国家が唯一の外的法則に従う世界共和国をめざすのである。ただ、現状では「国際連合の理念」をたえず拡大させ、平和状態にする。例えば日本のように軍事的主権を国際連合に譲渡することを、諸国家が行うなど。漸次的にワン・ワールドでワン・オーダーな世界に向かうのである。

 

〇私の感想 私の感想として憲法前文にある「政治道徳の法則」という理念は、第9条の紛争を武力行使という手段で解決しないという理念と重なり合っていることを理解した。そしてこの「政治道徳の法則」という考え方を戦勝国、いやすべての国にも適用する日が来るように前文は日本人に誓わせている。


 シリーズ「近代とは何か?」(夏)、第6回は日下部吉信氏の2回目「ハイデガーと西洋形而上学」其のⅡ。今回も私の関心から少しご紹介したい。

 

 

 

〇はじめに

 

前回、近代世界の主導原理は主観性であり、その浸透の結果、世界は全体としてゲステルと化してしまったと論じられた。主観性がヨーロッパ精神史に最初に登場したのが古代ギリシアであったということ。そして、ソクラテス・プラトンによる主観性の形而上学とヘブライズムの神という名の巨大な主観性の合体によって出現した超越の構造がヨーロッパ世界を支配するにいたったのである。今回はハイデガーを手がかかりにしながら、ギリシアにおける主観性の登場とそして主観性と「存在」との対立と葛藤について講義が進んだ。

 

 

 

〇主観性原理の登場

 

先生の見解では、主観性原理のギリシア世界への出現は、ソクラテス以前の初期ギリシアにあったといわれる。ピタゴラス(前6世紀後半)が数学的な理念的世界を出現させたこと、その志向性が主観性の超越の構造に基づくものであったと。理念的世界を志向する西洋形而上学の出現は、突き詰めれば、人類はこれをピタゴラスに負っていることになる。その上にプラトニズムが構築され、その後に西洋近代の科学的知の成立を見ることができる。

 

ピタゴラスの主観性の出現が、「存在」との対立と葛藤を顕在化させ、哲学の最重要課題となっていく。しかし、ギリシア世界の伝統意識から、ピタゴラス派は大迫害を受けてしまう。

 

それでも、主観性がギリシア世界から駆逐されることなく、その後ソクラテス・プラトンに受容される。

 

 

 

〇魂の転生説

 

ソクラテス・プラトンの人格的な魂概念もまたピタゴラス派から得られたものであり、魂の転生説に基づいている。この魂転生説は「外国産のもの」として、ギリシアの伝統意識と衝突していた。例えば、アリストテレスはこの人格的な魂をまったく評価していない。

 

「プラトンの論証も魂を理性(ロゴス)と同一視するところになるものであって、そうであるなら、論証を行うまでもなく、魂は不死であります。理性(ロゴス)は死なないからであります。すなわち理性(ロゴス)もまた自然的概念でないがゆえに、不死なのであります」。ハイデガーはギリシア哲学がロゴスの学に堕してしまったことを遺憾としている。

 

 

 

死を「考察」するものとすれば、ロゴスと同様に「優しさ」や「愛」というものを感じることはできない。「実は死のみが本当の優しさを現出させうるのであります。というのも、それのみが主観性を破壊しうるからです」。

 

 

 

〇ギリシアの主観性

 

「自然(ピシュス)と主観性の相克と葛藤こそギリシア哲学の全体的性格であり、ギリシア哲学史の中で見られる論争や対立はこの相克と葛藤の現象諸形態でしかなかった」。それなら、なぜ主観性がこの葛藤から抜け出すことが可能だったのでしょうか。「それは前5世紀後半以降のアテナイが脱自然化された都市空間だったからではないでしょうか」。ペリクレス時代後半以降、アテナイは大理石を敷き詰めた都市空間であり、脱自然化された都市でした。この点、アテナイはギリシアにおいて稀有な空間であり、そこで主観性が肥大化し、先鋭化したと考えられる。

 

「ソクラテスがもっぱら問題にしたのはポリスにおける人間であり、彼の関心は徳の問題、ポリスにおける「正しさ」の問題に集中しています。彼はもっぱら人間を問題としたのであります」。「人間しか見なくなった哲学は卑小です」。

 

「ギリシア哲学の「地」とは何か。それは何度もいうように、構造的な自然概念(ピュシス)とその呼び声に呼応した存在の思索とでもいうべきイオニア以来の自然哲学であって、自然哲学こそギリシア哲学の本体なのであります」。

 

〇ヘブライズムの神の登場(巨大な主観性の西洋精神史への登場)

 

ギリシア哲学の末期にヘブライの砂漠の彼方から神という唯一絶対の主観性が出現したとき、自然というギリシア的意識を拘束しつづけていた呪縛力の一切は喪失させられてしまった。というのは「今や自然は神によって創られた一個の「被造物」でしかないとされたからであって、このような対象物にどのような呪縛力がなお残りうるというのでしょうか。自然は今や極めて明快な対象物であり、その上さらにギリシア的知性がそれに加担するにいたって、自然はいよいよ明確に規定された合理的対象、すなわち物体世界としてその姿を現すことになります」。このすべてを合理的対象とする近代的自然概念は、ハイデガーに言わせると、存在を存在者としてしか捉えていないということになる。

 

 

 

「何ものも有らぬものからは生じないし、また有らぬものに消滅して行くことはない」という「ギリシア自然学の公理」と「世界の無からの創造」というヘブライズムのテーゼは、西洋文化の二つの根本性を示している。「この二つのテーゼの対立は構造的自然概念と主観性原理の対立の別表現であったわけであります」。ヘレニズムとヘブライズムの差異は、端的にいえば、存在と主観性のことである。

 


 

シリーズ「近代とは何か?」第5回は京都大学名誉教授の小川侃氏(哲学)「後期水戸学と現代」。講義の後半の一部をここに載せます。

藤田東湖のほか一般に水戸学にはシナとの関係において一種自己矛盾があります。というのは藤田東湖のこの漢詩は文天祥というシナの詩人を模範としてそれを変形し、いわば換骨奪胎するという仕方で己の詩を創作するという一種の屈折した態度があるからです。いったい水戸学にとってシナの文化は何を意味するのでしょうか。それは単なる模範なのか、それとも、学び乗り越えるべき対象なのでしょうか。水戸学にとって孟子や文天祥は一体どういう意味を持っているのでしょうか。孟子のなかにある易姓革命の思想、<氣>の思想、文天祥の正しい<氣>の思想などに対して藤田東湖はどのように関心をもち、どのようにこの逆説的な態度を乗り越えていったのでしょうか。水戸学や藤田東湖の孟子の思想に対する見方は両義的であります。

 

いっぽうでは藤田東湖は、シナの孟子や文天祥から学ぶところが甚大でありました。<氣>、<道>、孔孟の道すべてシナの思想です。にもかかわらず水戸学は最終的にはシナの思想や文化を越えて超克する道を選んだのです。それは日本の独自の文化と思想を自己主張するということに結びついたのです。要するに、私がかつてある論文で書いたように水戸学と藤田東湖の根本の思想は「学びつつ乗り越える」という道でありました。シナから学びつつそれを乗り越えて新しい日本の独自の思想を作り出すということでした。ここにおいて思想の次元での「対決するという態度」が見出されます。ドイツ観念論をはじめとするドイツの文化と思想はまさしくギリシャの文化と思想と対決し乗り越える努力のうちに培われたのです。それと同じことが水戸学や藤田東湖においても当てはまります。先行する思想は始原にあるがゆえにつねにある種の特権性をもつわけです。根源にあるものはまさにその根源性において他の己に従うものの模範となるわけです。その意味では根源的なものは支配するものであるが、しかし、この支配するものが支配するのはまさに従うものがあるが故であります。従うものが、つまり後続するものが存在しないにもかかわらず支配するものが支配することはありえません。このように考えると、水戸学もしくは藤田東湖の孟子もしくはシナの文化と思想への複雑な屈折した態度が理解できましょう。そしてこれは後続するもののもつ決意によるのです。それは学ぶことによって超越するという決意であります。

 

 

とはいえ超越するためには己の思惟の地盤のうちにとどまることが必要です。己の確固たる思惟地盤を持つ必要があるのです。水戸学の場合ではそれは日本の伝統と万世一系の天皇の伝統でした。それは日本の文化の根源です。だからこそ、私はかつてこう書いたのです。「もし日本人が欧米、漢土、インドから学びつつそれを乗り越えることができるとすればただ日本の大地に実存の根を張り巡らすことによるのみである。水戸学が身をもって示したのはこの逆説的な事態であり、その意味でわれわれは今日でも水戸学から学ぶことがあろう。」  

 

 


 

シリーズ「近代とは何か?」、第4回は山森亮氏「魔女とベーシックインカム-もうひとつの近代の可能性」である。ご専門は経済思想・オーラルヒストリー。今回も私(水口)の関心から少しご紹介したい。

 

〇『キャリバンと魔女』(以文社)の著者フェデリーチとの出会い

山森氏の講義はフェデリーチの著作との出会いを中心にして展開した。山森氏はフェデリーチに京都の古本屋で出会い、そして約10年後、イギリスで再会される。山森氏は「魔女」についてこう述べられる。「16世紀であれ現代であれ、資本主義が土着の人びとの共同の営みを解体し、抵抗を根絶やしにする必要にかられた場合、「魔女狩り」が行われるのではないか、というのがフェデリーチの提示する仮説なのです。裏返していえば、「魔女」たちの抵抗の先に、資本主義と家父長制によって特徴づけられる近代とは全く別の、「もう一つの近代」を予知させるものであります」。

〇「家事労働に賃金を」運動

『キャリバンと魔女』の著者フェデリーチは「家事労働に賃金を」というイタリア発の国際的運動(1971)の中心人物であった。端的にいって、この運動の考え方は性別役割分業を問うものである。

 

「賃金を求めて闘うとき、私たちに押しつ付けられている社会的役割に明確に直接に反対しているのです」。

 

「私たちは労働であるものを労働と呼びたい。そうすることによって何が愛であるかを再発見できるかもしれないし、私たちがいまだ知らない私たちの性を作り出せるかもしれない」と彼女はいう。

〇ベーシクインカム

山森氏がベーシクインカムと出会うのが、大阪の日雇い労働者の支援活動をしていた現場である。ベーシクインカム(Basic Income以下BI)とは「全ての人が、無条件で、生活に足るだろう所得への権利を持つという考え方」。山森氏は国際NPO(Basic Income Earth Network以下BIEN)の理事で、海外でも活躍されている。BIENのBIの定義は「資力や稼働能力の活用の有無にかかわらず、個人単位で、全ての人に無条件で定期的に行われる現金給付」。

実際の制度として、アメリカのアラスカ州で1976年に始まったアラスカ恒久基金がある。また、給付実験は1970年代にアメリカのニュージャージー州、カナダのマニトバ州で行われた。最近では、2016年、スイスでBIの導入の是非を問う国民投票があった。今年1月よりフィンランドで給付実験が始まっている。

スイスの活動家、エノ・シュミット氏はBIは哲学であり、生き方の問題だという。

〇社会運動とBI

 

山森氏がイギリスでボランティア活動などに参加されていたとき、友人から偶然にも『キャリバンと魔女』を紹介されたという。このときがフェデリーチとの2度目の再会である。そして、山森氏が要求者組合の女性たちに聞き取りをしていたのも、その頃であった。例えば、社会活動家、ジュリア・メインウェリングは、全英女性解放運動会議にBIを女性解放運動全体の要求とする動議を出し、可決されたというお話しなど。

1960年代後半から70年代にかけて、女性解放運動は高揚していた。そのとき、社会から排斥された歴史上の「魔女」と自分たちの共通点を見出し、「魔女Witch」と自称する活動家が現れてきた。彼女らのマニフェストには「魔女とはいつも次のような女性のことだった。魅力的で、勇気があり、アグレッシブで、知的で、従順ではなくて、探求心や好奇心旺盛で、自立していて、性的に開放されていて、革命的であることを恐れないような女たち」とある。

女性運動家が魔女であり、魔女がBIを要求するのは当然であるし、近代のもうひとつの可能性であっただろう。今後、世界のひとつの可能性であると私は思ったし、日本でも導入の機運を高めたいものだ。

 


 

シリーズ「近代とは何か」第3回は私(水口)の「丸山眞男 再読:超国家主義の論理と心理」である。現政権が教育勅語を閣議決定する政治状況の中、もう一度読んでおくべき論文である。この論文に現在の状況への警告ともいえることがあるので、それを中心にご紹介する。

 

〇「制度の精神」

 

『丸山眞男回顧談』(岩波書店)の中で丸山は学生に対して「制度の精神を捉えなければいけない」と言っていた。つまり、制度を動かしている精神を捉えるということ。また別の角度から、「経験科学としての政治学というものを完成しなければ、いつまでたってもイデオロギーに引っぱられてしまう。どういうイデオロギー的立場に立とうと、こういう経験的真理があるという、それを抽出していくことが必要だという考えが強かった」。

 

丸山は陸軍船舶司令部参謀部情報班の一員として陸軍で生活した経験を、敗戦直後に分析し表現した論文が、この「超国家主義の論理と心理」である。

〇論文の意図

 

「連合国によって、戦争中の日本を超国家主義とか極端国家主義とかいう名で呼ばれている」が、その思想構造乃至心理的基盤の分析がこの論文の目的である。「国民の心的傾向なり行動なりを一定の溝に流し込むところの心理的な強制力が問題なのである」。つまり、当時の日本を動かしていた精神的起動力とは、何であったか、それの分析である。

〇ヨーロッパ近代国家と日本の近代国家

ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットがいうように、中性国家である点が大きな特色である。中性国家とは、真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、こうした価値の選択や判断は個人の良心や他の社会集団(例えば教会)にまかせるという国家である。つまり、内面の自由を認めているのである。

 

 

一方、日本の近代国家は、簡単にいえば、個人の内面まで介入して、価値の選択や判断までも独占してしまう国家であった。この面は教育勅語で説明できるだろう。別の面からいうと、丸山も指摘しているが、当時、権力の内面への介入に対して、強い反発かなかった。丸山の言葉では「内面的世界の支配を主張する教会的勢力は存在しなかった」。

〇日本における国家と個人の関係

 

西洋では主観的内面性を尊重するが、日本においては「国法は絶対価値たる「国体」より流出する限り、自らの妥当根拠を内容的正当性に基づけることによっていかなる精神領域にも自在に浸透しうるのである」と丸山はいう。

国法が私的な内面に侵入してくると、逆に個人の私事はどうなるのか。丸山は「「私事」の倫理性が自らの内部に存せずして、国家的なるものとの合一化に存するというこの論理は裏返しにすれば国家的なるものの内部へ、私的利害が無制限に侵入する結果となるのである」。これは森友・加計問題を思わせる。端的に言うと、国家のものも私のものになり、私的なことも国家的になってしまう。純粋な私的領域がなくなってしまう。

 

〇権力と倫理

国家権力によって個人の内面の倫理性がそのつど決められている状態においては、権力が行使した事柄がそのまま倫理となる。この状態はある集団内だけに通用する倫理となり、集団の外ではまったく通用しない場合がある。

 

 

このとき、個人の価値は究極的価値からの距離によって決められる。最高価値に近いほど高く、遠いほど低い。この考え方は当時、日本だけではなくて、世界にも適用していた体系である。

 

「こうした自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である」。

 

 

「中心的実体からの距離が価値の規準になるという国内的論理を世界へ向かって拡大するとき、そこに「万邦各々其の所をえしめる」という世界政策が生まれる」。

現憲法において、日本国民は内面的自由をもち、平和主義や主権在民、基本的人権の思想を前進させる立場にある。

 


 

シリーズ「近代とは何か?」第2回は、平野喜之氏(僧侶・数学者)の「近代思想と親鸞思想―個の自覚をめぐって」。仏教の立場から近代思想の問題点を指摘され、また自覚を通した「一人(いちにん)」あるいは、平野氏が言う「仏教的コト的自覚」の考え方を示された。今回も私の関心から少しご紹介したい。

〇天空と大地から見るヒト

 

最初に平野氏はヒトの在り方を天空と大地から説明される。二足歩行するようになったヒトは、天空によって感じていた自分の「有限性の自覚」を忘れ、大地のおかげで食を得るなど、様々な意味での場所である「縁起の感覚」を失ってしまったと。

天空の大きさによる自分の卑小さを忘れ、大地が支えてくれている場所の縁起の感覚が薄れた近代人は、無限に自らの欲求にただ駆られたヒトになり、争いが起こる。

〇親鸞はヒトの在り方を転じるはたらき(他力)を海にたとえる

平野氏はヒトが広大な海を渡ろうとするたとえ話をされた。その話しは海の働きで自力が転じる様子を説明された。ヒトは海を渡ろうとするが、その限界を知る(自力無効の気づき)。渡れると思ったが、それ以上に海は広かった(天空における自覚と同じ)。しかし、海には浮力があり、自分の力だけではなかったことに気が付く(大地における自覚と同じ)。そして、海には「自力で頑張っていた在り方を転じて、海の浮力で生かされてこそ生きていたんだ」という在り方に転じる力がある。この働きを他力と親鸞はいう。

 

 

 

〇近代人の自由

近代になって、ヒトは、空虚な殻になった個人といわれた。権利として内面的な自由を獲得した近代人は、自由の内容が空白である危険性があると指摘された。ここでエーリック・フロム『自由からの逃走』を引用された。フロムによれば自由には二重の意味がある。まずは、「積極的な自由は、能動的自発的に生きる能力をふくめて、個人の諸能力の十分な実現と一致する」。もうひとつの意味が問題である。すなわち、「近代人は伝統的権威から解放されて「個人」となったが、しかし同時に、かれは孤独な無力なものになり、自分自身や他人から引きはなされた、外在的な目的の道具となったということ、さらにこの状態は、かれの自我を根底から危うくし、かれを弱め、おびやかし、かれに新しい束縛へすすんで服従するようにするということである」。

 

〇仏教的コト的自覚(いちにん)

 

それなら、「天空と大地において、我を自分と自覚」させるとは、どういうことなのか。平野氏はこう説明する。「天空によって我が有限であることに気がつかされ、大地によって我が生かされていることを実感させられることを、私は「仏教的コト的自覚」と呼びます。上から見られ、下から支えられている世界全体の中で、その世界に組み込まれている私を世界の「部分」として自覚するとき、私は「自分」となります。自に「分」が付くのは、天と地の中で、世界全体の中で、つまりコト(物事、出来事)の中で私を自覚しているからなのです」。しかしながら、世界の中で私の自「分」に気が付くことは簡単ではない。というのは、ヒトには「意識の虚妄性」や合理性のために、「仏教的コト的自覚」へ至るには容易ではないので、教えが必要であると私は思った。平野氏はヒトの心は絶えず動き、怪しいものだということを自覚させる宗教、それが仏教であり、私達が普段考えている「我」の存在を仮定していない教えでもあると言われた。

〇仏教における自由

「法(ダルマ)は、あるひとつのコスモス(法界)をもつ」。この意味を眼げん根こん(見る働き)と耳に根(聞く働き)と鼻び根(嗅ぐ働き)で説明された。この三つの働きは、どれも交換不可能であり、妨げ合わなく、統一するものなくして統一している。つまり、眼、耳、鼻はそれぞれコスモスをもち、互いに自然じねんに統一している状態にある。このような状態を仏教では自在であるという。また、西洋近代の自由は人間を分断してしまう面があることも指摘された。

 

〇親鸞思想における個の自覚の時`

どのような時に自覚するのか。その具体例をいくつか紹介された。そのひとつが、平野氏の知人の娘さんの作文「生きる喜び」。彼女は小学生の頃、白血病と診断された。

 

「入院と聞かされた時は、とてもつらかったです。父も信じられなかったのでしょう、「先生、じょうだんやろ。」と、何度も聞き返したくらいなんです。それから、いすに座って待っている時の父の顔は、一生忘れられないでしょう。目には涙がたまっていて、つらく悲しい顔でした。でも、力強い感じがしました。入院の準備のために家に帰った時、なんだかみんなそわそわしていました。そして、私を見る目がいつもとちがっていました。(中略)退院の日、六か月ぶりに外へ出ました。外は、別世界のような気がして、青い空や白い雲、色とりどりの草花など自然がとても美しく思われました。

  私は、病気にかかり、つらいこと、悲しいことなどいろんなできごとがありました。でも、くやんでなんかいません。かえってよかったと思っています。ふだんあたりまえのように思っていたことが、今では喜びとなり、健康で生きていけることは、本当にすばらしいことだと気づかされたからです」。

 

そして、岩崎航わたるさんの例を挙げられて、次のように言われる。「病気になったにもかかわらず生きる希望を失わなかったというよりむしろ、病気になり生きる希望を失ったからこそ、ありのままの自分を受け止めようという気持ちが存在の奥底から沸き起こってきたのでしょう」。

平野氏は西洋近代の自由の陥りやすいところを「宿業からのがれる」自由とし、仏教の自由を「宿業を引き受けた」自由とまとめられた。私が最も興味深く、日本の伝統にも根差していると思ったのが浄土についての見解である。「宿業を引き受けることのできる自己を獲得して使命を生き切られた無数の人たちの人生を、光り輝く華として荘厳した世界が浄土なのです。そしてその浄土から我々一人一人が、あなたもそういう人生を歩んでほしいと願われているのです」。

 私は仏教を基礎にした「いちにん」あるいは平野氏の「仏教的コト的自覚」という考え方と、西洋から日本に入ってきた「個人主義」を縁にして、大地に根差した考え方が生まれそうな予感がした講義であった。

 


 

 シリーズ「近代とは何か」の第1回目は日下部信吉氏による「ハイデガーと西洋形而上学」(其のI)でした。日下部氏のご専門はギリシア哲学。

はじめに、先生の講義は質・量ともに高度しかも大量であったので、私が理解したところから少しご紹介したい。ご関心のある方は次の講座に参加してください。先生によれば、ハイデガーはソクラテス・プラトンをはじめとした2000年強の西洋形而上学、すなわち、主観性を立ち上げる考え方は、存在の真理を隠蔽してしまったと指摘されました。この主観性の原理は、ソクラテス・プラトン以降の西洋形而上学だけではなく、キリスト教やラテン文化によって決定的となった。西洋形而上学と対峙することは2000年にわたる哲学の意味と性格を問い直すことであり、その課題を追求したのが、ハイデガーであった。この問題設定は近・現代の課題へ異なる視点を与えてくれる。

〇主観性の形而上学

 

ハイデガーが対決した「西洋形而上学」とは一体何であったのか。端的に言えば、キリスト教的プラトニズムと総括できる。先生はこう述べられる。「キリスト教は宗教的形態を取った主観性の形而上学そのものであり、「神のキリスト教化」(ハイデガー)を策動した原理こそ主観性であります。超越は主観性の志向性に基づいてはじめて開かれる霊的領野であり、超越的一神教の背後にある原理もまた主観性なのであります」。

 

先生はハイデガーの「神のキリスト教化」をこう説明される。「実はキリスト教の神が人間を支配しているのではなく、むしろ真実は逆であって、人間(主観性)が超越の構造を生み出し、それを維持しつづけているのであります。そして神もまたその超越の構造の中に投げ入れられているのであります」。そして先生は「プラトンから近代までの世界を支配した原理は主観性」であると述べられる。

〇西洋形而上学(プラトニズム)と科学

主観性とは何か。それは一切を「自らの前に立てる」原理であり、主観性はすべてのものを己の前に立つ対象と化せること。この知の構造はまさにプラトニズムである。

 

科学はハイデガーのいう「存在者」と「存在」の差異を無視しつづける特徴がある。つまり、世界を「存在者の領分」一色で塗りつぶすのが本性である。

 

〇中世における主観性

 

先生は中世の「主観性の哲学」から考察される。「中世世界に作動していた原理は主観性であって、神そのものがヘブライズムの系譜においては巨大な主観性だったのであり、中世キリスト教の哲学は何にもまして主観性の哲学なのであります」。先生によれば、ニーチェが批判したのは、キリスト教そのものではなく、この中世的原理であったと言われます。ニーチェは西洋形而上学の原理にはじめて気がついた哲学者であり、「ヨーロッパのニヒリズム」は西洋形而上学の帰結なのである。

〇主観性の自己意識(自覚)

 

先生は近代こそ、主観性原理の結果の世界であると言われる。また「西洋近代の哲学的探究を確実性への志向性と化してしまったもの」、それは要するに主観性が自己意識(自覚)に至った結果なのである。この主観性の原理は構造上、対象との距離が生じ、そこに疑念や不安が生まれてくる。これは西洋近代の形而上学の根底にあったものである。しかしこの主観性の在り方は運命(ゲシック)でもある。

デカルト哲学の確実性への希求も不安が動因である。「デカルトをして疑いえない第一原理をあれほどにも激しく求めさせたもの、それは己の知と対象との間に開いた距離、空白、欠如であり、己の知の正しさに対する疑念と不安なのであります」。

〇「正しさ」の哲学

 

先生は主観性の原理によって必然的に生じた対象との距離からくる意識の正しさへの衝動は、非常に激しいと言われた。「主観―客観、認識―対象、ノエシスーノエマの構造がいわば西洋近代哲学の鋳型ですが、この鋳型は「前に立てる」(vorstellen)ことを本質とする主観性の哲学の超越的構造が生み出したものであり、この構造の中に存在が入ってくることはありえません」。

 

「正しさ」すなわち「認識と対象との一致」を実現しようとする西洋近代の認識の哲学は、結局、徒労に終わらざるをえないと先生は言われる。というのも主観性それ自体に限界があるからである。先生は言う。「主観性は己に自足できない原理であります」。「主観性が己を主張するとき、そこには必ず空白が生じます」。「特に自己意識(自覚)にいたった主観性はこの宿業性をもろにわが身に引き受けざるをえないのであって、西洋近代の哲学は総じて主観性のこの宿業性の哲学的表現でしかなかったといって過言ではないのではないでしょうか」。

〇「正しい哲学」と後期近代世界

 

ハイデガーに言わせれば、「正しさ」や「誠実性」が仮に成立したとしても、それはあくまで真理の頽落態でしかない。存在の現出、存在の湧出こそが真理なのである。

 

先生は最後にハイデガーを引きながら「ハイデガーの「脱存」は主観性の我執への囚われからの解放を説くものであって、主観性の我執からの解放がならずしてどうして存在の真理が露になることなどありえようかというのがおそらくハイデガーのいいたいところでありましょう」。この発言は仏教の文脈でよく言われる「執着」や「我執」から離れろという教えと内容が一致していると私は思う。

 

私が日下部先生から学んだことのひとつは、西洋の精神に貫いている原理として、主観性の原理という考え方を用いると、うまく説明ができること。そのことに驚いた。

 


 以前は詩をよく書いていたが、最近は散文やつぶやきのような文章を、自分自身に確認するように書いている。そこで、今回は父と太郎(柴犬)にまつわる詩「さよなら、とうちゃん」をご紹介しよう。ちなみに、詩や短い散文をまぐまぐというサイトで連載もしています。➡http://www.mag2.com/m/0001631871.html

 

 さようなら、とうちゃん

 

 「太郎にもお別れさせる」

 「やめないな、そんなこと」と母は言う。

 やるべきこと

 子犬の頃から

 いっしょだった

 太郎

 おまえは

 父が入院して

 4か月、会っていない

 太郎

 おまえ

 どう感じていた?

 

 オレが夜中に付き添いから帰ってきても

 太郎

 おまえ、起きて待っていたな

 わかっていたのか

 太郎

 とうちゃんは

 病気なんだ

 しかも

 重い

 病気だ

 

 太郎

 おまえも

 歳をとり

 目も悪くなってきたのか?

 両目はいつも濡れている

 それは

 悲しみの涙か

 太郎

 おまえも

 とうちゃんが大好きだったな

 

 通夜の夜

 「太郎にもお別れさせる」

 (抱いて枕もとへ)

 とうちゃんは目をつむって

 冷たい

 ドライアイスで

 さらに、冷たい

 太郎、とうちゃんは

 もう、動かないんだ

 ペロペロなめて、あげるのか

 太郎

 お別れの、あいさつか

 太郎

 おまえは犬だけど

 親族だから

 太郎

 とうちゃんも

 心配してたぞ

 散歩のときは

 落ちつけよ

 リーダーは

 オレだ

 おまえじゃないぞ

 太郎

 ちゃんとお別れできたな

 さよなら

 とうちゃん