第11回「宗教とは何か」平野喜之氏(僧侶・数学者)「『仏説無量寿経』に自己を学ぶ①」でした。今回も私の視点から少しご紹介する。

 

〇「仏教は身近にあるけれども、あまり知らない」や「お経に何が書いてあるのか知りたい」という参加者の声に応えて、この講座は始まった。参加者との対話が充実した講座であった。

 

〇『仏説無量寿経』とは

経典には阿含経典と大乗経典の二種類がある。無量寿経は大乗経典である。上座部仏教は阿含経典により、大乗仏教は主に大乗経典によっている。『仏説無量寿経』には初期と後期があり、今回私たちが学ぶのは後期の仏説無量寿経(3世紀)通称、大経である。親鸞聖人が大事にされた浄土三部経のひとつで、最も重視された経典である。

 

〇沙門とは

釈尊の生きた紀元前6世紀頃、古代インド社会は大きな変動期にあった。従来のヴェーダの宗教は、祭祀が中心で、人生の中からの悩みに応えるものではなかった。そこで新たな道を求める人たちが現れた。彼らを沙門という。釈尊もその一人である。沙門の共通の課題が、苦・流転・業・解脱・涅槃である。この用語は本来、仏教用語ではなく当時の思想的課題の用語であった。

 

〇業報思想とは

当時のインドでは、業報による物語世界が人びとの生活に深く浸透していた。地獄、餓鬼、畜生という苦しみの世界があり、人、天という幸せな世界がある。例えば、地獄を実体的な場所としてあると考えるか、我々の日常生活の比喩として見るかで、教えの理解の仕方も変わってくる。『往生要集』では「このなかの罪人は、たがひにつねに害心を懐けり」、「われいま帰すところなく、孤独にして同伴なし」と地獄を述べている。源信は我々の生活にある苦をイメージさせるために地獄をたとえとして理解した。平野氏によると、天といえどもバラ色ではなく、解脱のために道を歩む必要があるという。

 

〇参加者との対話

「人類が共通にもつ認識装置は、対象との一致を追究する」。しかしこのような哲学と、仏教が課題としている問題領域が異なっていることが、対話を通してはっきりした。


第10回「宗教とは何か」は水口秀樹(主催者)「南原繁に学ぶー日本人には宗教改革が必要」であった。

〇はじめに

 私が南原氏について講義をしようと思った動機は、まず南原氏が戦後直後に憲法と教育基本法を作成する時に目標としていたことが、現在あやうくなっているからである。端的に言えば、戦前から戦後にかけて天皇主権から人民主権に政治制度が大きく変わった。この変革に伴い、日本人も変わらなければならないと南原氏はいう。南原氏の言葉では、人間革命、精神革命と言われ、時に宗教改革とも述べられた。現在、一部の政治家は戦前の人間観、世界観をもった憲法に改正しようとしている。ここでもう一度、南原氏の主張を考えて、現憲法の精神を確認したいという思いもあった。同時に、近代になり人間の理性がもっぱら外部に向けられ、人間の内面の豊さを軽視している状況にも懸念をもっていたからである。

 

〇南原繁という人

 彼は1889(明治22)年、香川県生まれ。この時に明治憲法が制定された。明治憲法下で彼は貴族院勅選議員に選ばれ、現憲法を審議している。彼の価値態度としては儒教的な家長的価値観とプラトン、カント、内村鑑三などの影響で、新しい価値への洞察や評価の二つの価値観を持っていた。学徒出陣に際して、彼は「人間的価値」と「政治の運命」との相剋の中で、学生とともに悩んだ。彼は戦場にあっても「自分を完成すること」を放棄するなといって励ますしかなかったと。その中で南原は法学部部長になり、同僚七人と終戦工作を始めるが、うまく行かなかった。しかし、その時の南原の精神は戦後、活発に動くことになる。

 

〇南原繁と丸山真男との対話

 私の講義では『南原繁対話 民族と教育』(東京大学出版会)の丸山氏との対話を紹介した。この対話は1964年で、戦後約20年の頃に行われた。明治憲法は法律の根本法というだけではなくて、当時の精神的な日本の基礎を宣明したという南原の指摘がある。その精神が教育勅語と相ともなって、戦中に拍車をかけられ、万邦無比の国体という概念をも生んできた。戦後、人間天皇の宣言により、この国体から解放され、人間は個人として精神の自由を尊重されるようになった。この普遍性をもった憲法を日本人は使いこなさないといけない。南原は「新しい日本の再建という問題に対して、政治、文化、道徳を通じてその基礎に、やはり宗教の問題があることを考えなければならないと思う。そこで、いまこそ日本の国民がそれぞれ真の神を探究するときではありませんか。私のいう宗教改革はそれです」。

 南原はキリスト教徒になれとは述べていない。普遍的な土壌で、各自が自分の内面を追求する中から、倫理観や世界観を問いながら、自分の道、自分の使命をもって生きてほしいと述べているのではないか。

 

〇最後に 

 参加者との対話から次のような感想をもった。ルッターにより個人の精神の自由が見出されてから、カントの哲学によってその自由が基礎づけられ、現在私達のなじみのある「個性」という概念が確定されたものだと南原は言っていると思う。私たち日本人、いや世界の人々はその概念の中で生きているし、それが普遍性だと言える。憲法の中では基本的人権という言葉になっているのだろう。

 


第9回「宗教とは何か」平野喜之氏(僧侶・数学者)「宿業と使命」

平野氏の講義の内容は詩人の岩崎航さんと水平社宣言のことについてであった。岩崎さんは自分と病気との関係、水平社宣言は自分たちの境遇と他者、とりわけ社会との関係についての講義だった。ここでは岩崎さんの話を少しご紹介する。

 

〇進行性筋ジストロフィーと私

岩崎さんは3歳の頃に症状が現れ、多感な青春時代の17歳の頃に死のうと思われた。(カッコ内の言葉はある対談での岩崎さんの発言である。)「同世代の友達や知り合い、みんなの姿を思って、自分と違って楽しい高校生活を送っていたりするんだろうなとか、どうしても人と自分の境遇を比べてしまったんですね。・・・・なにかにつけても涙が出てくるんですね。なんで自分だけがということと、自分はできないけれども、周りはできると・・・」。

 

ついには、この病気の体をもったまま生きていても将来はない、希望はないと思い込んでしまったんです。そのときはじめて、自分で死のうと思いました。ですが、死のうと思ったときに湧き上がってきた気持ちというのは、このまま自分が死んでしまったら、自分は何のために生きてきたんだろうという問いでした。そうしたらすごい、心の奥底から、このままでは死にたくないという気持ちが湧いてきたんです。本当になんて言ったらいいかわからないんですけど、命の奥底、存在の奥底から湧き上がってくる・・」。

 

平野氏は「命の奥底、存在の奥底から湧き上がってくる」この力を仏教では「如来」というと述べられた。

 

〇岩崎航さんの5行詩

詩「たとえ何ものも 自らを 生きることの 芯までを 焼き尽くすことはできない」。この詩は上で紹介した経験からの表現だと思う。岩崎さんは「病を含めての自分として生きるという気持ちが固まった時に、はじめて私は、自分の人生を生き始めた」という。

詩「泥の中から 蓮は花咲く そして 宿業の中から 僕は花咲く」。この詩は仏教的で、泥は煩悩を表し、その中でこそ蓮は花咲く。この動かしがたい宿業を引き受けることで、自分の使命を自覚し、花が咲く。

 

〇主体的に生きるとは

自分の人生を外側から与えられたものとして見るのが「運命」だとすると、「宿命」という言葉には、どんな人生でも、それを自分の内側から捉えなおして生ききっていくという主体的な態度がある。このことは自分の生きる使命を自覚して、生き直しが始まったからでもある。平野氏によれば、人が主体性を持って生き始めることを親鸞は「往生」と言ったと述べられた。

 


第8回「宗教とは何か」は水口秀樹(主催者)「クザーヌスに学ぶ①」であった。

 今回はキリスト教から宗教を考えたい。少しご紹介する。

 クザーヌスの『神を観ることについて』(岩波文庫)の訳者、八巻和彦氏の問いに私も共感するところがあり、講義の導入とした。八巻氏は学生時代に「眼に見える形をもち数字に換算できるものだけが存在意義のあるもの」という風潮に疑問をもたれていた。

 

〇近代化の方法

 当時、諸々の問題は近代化が不十分であるから生じているのであって、近代化が徹底されれば解決される問題にすぎないという視点が多かった。そしてその方法は、近代経済学の手法とマルクス主義の手法であった。しかし、どちらも量的測定なるものの正しさを無条件に前提としていた。八巻氏は人間の認識がそんな絶対的妥当性をもつものではないし、人間がそんなに偉大な存在ではないのではないかという問いをもっておられた。私も現在、その問いを共有する。

 

〇クザーヌスについて

 ニコラス・クザーヌス(1401~1464)は船主の子としてドイツのクースで生まれる。1416年にハイデルベルク大学で自由学芸を学び、1423年にはイタリアのパドヴァ大学で教会法博士となる。そしてドイツのトーリア大司教の法律顧問になる。クザーヌスは枢機卿にして司教となり、司教区の改革にも取り組む。1464年、意に反して十字軍に参加して、病に倒れ、トーディという町で亡くなる。

 

〇『神を観ることについて』

 この書は1453年に修道院の友人から依頼されて書かれたものである。「神を観ること」という表現は「人が神を観ること」と「神が人を観ること」という二義性をもっている。神を絶対無限としたり、信仰における精神の状況や場面によって表現は変わっている。それは「観る」ということが「眼差し」と表現されたりする。これはもちろん、内面に対する神の眼差しを感じるということである。

 

 

〇「神の「観」が同時に普遍的にして個別的であること」

 「主よ、あなたは、・・・全体と個々のものとを同時に見つめておられるのですが、いかにしてあなたの視力において、このような普遍的なものが個物に合致しているのか、私は驚かされています」。

この文章でクザーヌスは、神の「観」が個別的に私ひとりにも眼差しが向けられ、それに合致することに対する驚きを表現している。眼差しが合致するのは、神が私を「観」ているからであって、それだからこそ私の観ることに一致するのである。

 


第7回「宗教とは何か」は平野喜之氏(僧侶・数学者)「童話に学ぶ仏教②-大悲に出遭う」。今回も私の関心から少しご紹介する。後半は平野氏に加筆していただいた。

 

〇大悲とは

 平野氏は大乗仏教の視点から大きく「大悲」を理解されている。それは三つの要素で表現された。①相手の苦しみや悲しみを自分の苦しみや悲しみとして感じられること。②共に苦しむこと(Compassion)③無条件の愛(unconditional love)。今回の新実南吉の『狐』の中では、文六ちゃんの母親にこの大悲が現れている。

 

〇釈尊と新実南吉との共通点

 釈尊の誕生後、一週間後に母親のマーヤー夫人は亡くなられる。このとき、釈尊はすでに「どうして自分だけがこんなことになる」という不公平感を抱き、さらに「私さえ生まれなければ母はこんなに早く死ななかった」、「母の死を早めたのは、私を産んだからだ」という罪悪感をもったのだろう。新実南吉も彼が四歳の時に、母を亡くしている。おそらく、釈尊と似た感情に襲われたのだろう。南吉の童話のテーマは孤独であり、その背後には「母が恋しい」というものがある。

 

〇秋葉原通り魔事件

 2008年、7人が死亡、10人が負傷した事件。この事件の加藤智大氏は両親からすさまじいスパルタ教育を受けていた。彼は成績が伸びずに、両親の期待にこたえることができなかった。彼のサイトには「人はちょっとしたことで切れる それは幸いな人がボクに対していうんだ ギリギリいっぱいに生きているから ちょっとしたことが引き金になるんだ」と記している。彼は両親にも気持ちが通じていないし、友人もいなかった。

 

〇童話『狐』

 『狐』の結末に、文六ちゃんが母親に聞くシーンがある。自分が狐につかれ、狐になったら母親はどうするのか。見捨てるのか。この母親は文六ちゃんと同じように狐になって、一緒に苦しみ生きて行こうとこたえる。ここで文六ちゃんは大悲と出遇っている。

 

○新美南吉はどこで大悲と出遇ったのか?

甲斐和里子(1868~1963)という念仏者が呼んだ歌に次のようなものがある。

「み仏を呼ぶ我が声は み仏の我を呼びます み声なりけり」

新美南吉は、生涯母が恋しかった。なぜか、それは母がたった4年間であったけれど、無条件の愛で自分を愛してくれたからだ。今も自分の心の中にいて、自分を呼んでいる。自分の母を恋しいという感情は、母が自分を呼んでいる声なのだ。いわば、

「母親を呼ぶ我が声は 母親の我を呼びます み声なりけり」だ。

そのことに気づいた新美は、『狐』という作品を亡くなる約半年前に最後の力をふりしぼって書いた。新美にとってはその『狐』という作品で描かれている大悲なる母親こそ、自分と4歳で死に分かれた母親であった。


第6回「宗教とは何か」は平野喜之氏(僧侶・数学者)「苦は渇愛より生ず」である。

 今回、平野氏の講義は、釈尊の悟りの内容である「縁起の法」を、童話『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ)と『100万回生きたねこ』(佐野洋子)のストーリーで解説された。物語のおかげで、どんな課題をどう解決したのかがよくわかった。

 

〇苦はどこからくるのか

 釈尊の課題は「四門出遊」のエピソードによって、およそ理解できる。この課題に対する答えが、縁起の法という悟りである。平野氏はこの縁起の法を生(しょう)、有(う)、取(しゅ)、渇愛(かつあい)から説明された。「渇愛の心とは、自己を渇き求める心である。私は私でありたいという祈りともいえる心が、渇愛の中心である」。しかし、「私は私でありたい」ということに対して、間違った私を追い求めることがよくある。その状態を仏教は迷いと呼ぶ。この迷いを超えるにはどうすればいいのか。

 

〇『はてしない物語』

主人公のバスチアンは、望みをかなえてくれるメダルを使い、なりたい自分になって行く。しかし、立ち止まって考える場面がある。「真の意志」をバスチアンはそれほど難しいものだと思っていない。しかし「これはあらゆる道の中で、一番危険な道なのです」とライオンが答える。ひとつはカルト宗教へ陥る危険があるし、もうひとつはレディ・メイドの目標を自分の目標だとしてしまうことが多い。どちらも「仮の意志」である。「真の意志」はどう見つけるのか。

 

〇『100万回生きたねこ』

100万回生きたねこは、なぜ100万回も生きなければならなかったのか。仏教の文脈で言えば、輪廻転生を繰り返している。一回の生で満足することができずに、次の生を求め続ける。しかし、主人公は白いねことの出会いによって変わる。白いねこは、主人公に自分自身を見つめるきっかけを与え、少しづつ変わっていく。この出会いにより、主人公は泣くことが可能になり、もう生まれかわる必要がなくなる。

 

 概して、『100万回生きたねこ』のストーリーの簡潔さと内容の深さに驚いた。佐野洋子さんは仏教の素養があっただろうが、これほどうまく表現していることに驚いた。ただ、平野氏は仏教は仏教の用語を使って、人間の在り方の普遍性を説明しているだけだとも言われた。


第5回「宗教とは何か」は水口秀樹「私の『正法眼蔵随聞記』」④でした。

 

 今回はテーマを持って参加者と話し合いました。それは仏道に専念するということは、他の知識・関心を切り取るということになるし、そうしなければ悟りには到達できない。当時、鎌倉時代の少数独裁政権下の社会で、一般人は政治に参加することはできなかった。しかし、現代の民主制においても、この考え方のままでいいのか、話し合った。

 

〇たこ壺

 現代において、悪く言えば専門バカやたこ壺化と言って、批判される対象である。しかし、仏道から見ると、専門化とは違う。言い換えれば、いくら知識を浅く広く積み重ねても、悟りには到達しない。悟りというのは、学識や才覚とは本質的に異なるものである。民主主義社会ではどうするのか、参加者との話し合いでも明確な道筋には至らなかった。

 

〇世間によらず、仏法による。

「現在、この日本国の人々はたいてい、或は動作の作法について、或は言葉づかいについて、その善し悪しを世間の人が見聞きしてどう判断するかを考えて、そのことをしたら、人はきっと悪く思うだろう、そのことを人はきっと善いと思うだろう、また今だけでなく、将来も人がどう思うだろうかなどと執着している」と道元は述べる。

 この点は夏目漱石が述べた「自己本位と他人本位」の指摘と同じである。いずれにしても、他人本位だけでは自分の人生を歩むことはできない。「人目によらずして、一向に仏法によりて行ずべきなり」と道元もいう。

 

〇無常について

 道元は無常は眼前の道理だと述べた。「朝(あした)に生じて夕(ゆうべ)に死し、昨日見し人今日なき事、眼にさへぎり、耳にちかし」。人は無常を感じてもなんとか生きていける。しかし、それよりも仏道を歩むべきだと道元はいう。「無常迅速 生死事大」ともいう。


第4回「宗教とは何か」は平野喜之氏(僧侶・数学者)「マンガで学ぶ仏教」である。

平野氏の講義は他人の苦悩への共感をより重視する大乗仏教の立場から、秋竜山氏のマンガを題材にして、仏教の悟りの内容である「縁起の法」を考えるものであった。

 

〇はじめに

 最初に、仏教の基本的な事柄についての学習があった。ゴータマ・シッダールタの名前の意味から、悟りの内容である「縁起の法」とその教えである、三法印・四法印の解説など。

 

〇人間の欲求

平野さんによると、仏教は人間の欲求を二つに分けて考えている。ひとつは渇愛である。もっとこうしたい、ああしたいという「私」の欲求のこと。もうひとつは、触れ合ったり、わかち合ったりすることから得られる喜びのこと。この触れ合ったり、わかち合ったりする喜びを得るためには、勇気、想像力、知恵が必要であることを、マンガで説明された。

 

〇マンガ:階段

 この「階段」というマンガでは、「てすり」が描かれている。普段はあまり気にかけないで、階段を利用している。しかし、地震がくるとみんな、たちどころに「てすり」につかまる。地震や災害にあうと、私達が普段、何かに「よって」生きているということをあらためて実感する。この「よって」や「よる」ということが、縁起の法の「縁」と考えることができる。

 

〇私の感想

 民主制という制度は、すべての人が政治参加しなければ、少数の人々によって運営される少数独裁になる可能性がいつもある。平野さんが紹介されたマンガも、それぞれの場面で私達に「縁」を問うているものだった。人は完全ではないから、知恵が足りなかったり、勇気が出なかったりする。しかし、指針を手がかりに前に進むことができる。


第3回「宗教とは何か」 水口秀樹(主催者)「私の『正法眼蔵随聞記』③」

 

 道元がこの『随聞記』で述べた内容は、現在の私達が日常でぶつかる問題と深く関わっている。それは普遍的な問題だからいつでも問題になるのである。

 

〇教義と道理

 仏教修行者は聖典をはじめ祖師の言葉や行いを学びながら、それらを積み重ねてきている。しかし、その効果がない場合はどうするのか。

「以前から学んでいる教家の学問の効果も、捨てなくてはならぬ道理があるならば捨てるべきであり、いま学ぶ意味に従って見直すべきである。仏教の教義を学ぶことは、いうまでもなく、出家して仏道を悟るためである。自分の学問してきたところは、長年の功労を積み重ねている、どうしてたやすく捨てようかと、やはり心中に深く思案する、この心をとりもなおさず、迷い縛られている心というのである。よくよく考えてみなくてはならない」。

 「捨てなくてはならぬ道理があるならば捨てるべきであり、いま学ぶ意味に従って見直すべきである」というが、なかなかできるものではない。それに道理があるのに捨てる場合があるし、それが進むとカルト化、反社会的になる可能性もある。一方で、道理が今の時代にはないのに、捨てないということもあるだろう。

 

〇出家

 鎌倉時代も現在でも同様だと思うが、出家するということは、どういうことなのか、道元はいう。

「仏道にはいるには、善と悪とを分けて、あれが善いの、これが悪いのと思うことを捨てて、自分の身がよくなるようにとか、自分の心持がどのようになろうかと考える心を忘れ去り、善いにせよ、悪いにせよ、仏や祖師の言葉・行いに従ってゆくのである」。

 「あれが善いの、これが悪いのと思うことを捨てて」、仏や祖師の言葉・行いに従ってゆく。この善悪の判断を仏道に任せず、恣意的な教えの師に任せると、カルトの道に進む。この点は紙一重である。怪しいと気が付くかどうかは、宗教的素養、教養による洞察力によるだろう。

 

最後に、道元の警告を引いておきたい。

「ほんとうに、内徳がないのに、他人に尊敬されてはならぬ。この日本国の人は、ほんとうの内徳をつきとめることができず、外相で人を尊敬するからして、求道者のない修行者は、たちまち悪いほうへ引っぱられて、悪魔の従者となるのである」。

 この文は一般人と修行者ともに、道元に注意されている。これは現在、民主制において選挙で代表を選ぶ時にも、考えておくべきことである。


第2回「宗教とは何か」 水口秀樹(主催者)「私の『正法眼蔵随聞記』②」

 

 今回は①「カルトと宗教との違いをどう考えるか」②「あなたにとっての宗教とは何ですか」の二つの課題をもって、道元を読むことにした。その中での感想を少しご紹介する。

 参加者との対話において、「学問の追求と求道心とは違う」という意見があった。近代の成立過程で、ヨーロッパでは神の設計図を調べるという観点から、真理を探究した学者もいた。現在、学問の真理の探究と自分の道を見つけ、追求していく求道心とはかなり異質なものになっているのかと思った。

 

〇『文選』について

 道元が『文選』から引用した部分を紹介した。「国は一人のために興り、先賢は後愚のために廃れる」。この意味は国に賢人が一人出現すると、その国が盛んになり、愚人が一人出現すると、昔の賢人がなしたところは廃れてしまうというのである。道元の時代は民主制ではないので、現状にそのまま当てはまらないが、考えさせる言葉である。

 

〇仏道の徳について

 また、仏教の道徳についてその徳がどうあらわれるかを道元は述べている。現代語訳で紹介する。

「仏教の徳が外に現れるのに三段階がある。第一は、あの人は仏道を実践しているのだと、世に知られることだ。第二は、その仏道を敬慕する者が出現することだ。第三には、その仏道をその人といっしょに修行し、いっしょに実践する人が現れることだ。これを仏道の徳が外に現れるというのだ」。


第1回「宗教とは何か」 水口秀樹(主催者)「私の『正法眼蔵随聞記』」。

 

道元(1200~1253)曹洞宗の開祖。宋から帰国後、旧仏教から迫害され、のちに越前に隠棲し、永平寺を開創。彼の弟子懐奘が師の折に触れて教示した教えを書き残したのが、この『正法眼蔵随聞記』である。主著は『正法眼蔵』。

 

〇私は普段、岩波文庫の『正法眼蔵随聞記』を持ち歩き、仕事の前の数分の間、読んでいる。学問的に読んでいるというよりも、生きる上での指針、生活の支えとして取り組んでいる面もある。その行為は私の幸福にかかわり、どう考え、どう行動するかのヒントになる。ここでは講義で述べた一部をご紹介する。

 

〇宗教の文化的所産か人間か

この話は道元の先生、栄西が建仁寺にいた時のことである。数日間、絶食している貧人が建仁寺に来て、「このままでは餓死するしかないので、慈悲をもってお救いください」という趣旨のことを述べた。あいにく寺には、衣食財物がなかった。そこで栄西は薬師の像の光の銅棒を取って、折り束ねて与えた。すると弟子たちは反発。「あれは仏像の光だ。仏の物を私するのは怪しからぬ」と。それに答えて栄西はいう。「まことにその通りである。が、仏は自分の身肉手足を割いて衆生に施した。この仏の心を思えば、現に餓死すべき衆生には仏の全体を与えてもよかろう。自分はこの罪によって地獄に落ちようとも、この事をあえてするのだ」。

 この話から何を考えるか。文化財として重要な仏像と目の前で餓死しそうな人、どちらを優先するのか。どちらを優先することが仏教の教えなのか。もちろん、釈尊と栄西は仏像より目の前の人間を優先する。その精神が仏教の教えであるはずだと、この話題は教えてくれる。

 民主主義でも仏教でも、その精神よりも形式だけを守ればいいと考えがちになる。選挙にだけ勝てばいいというのは、民主主義の精神ではない。